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  • 合同会社GETTAプランニング設立について

合同会社GETTAプランニングを設立しました


2010年よりスポーツ科学×伝統工芸という切り口で一本歯下駄を展開し、多くの分野の人々と出逢ってきました。
今回、出逢う段階から、未来をつくるために共に企画し、行動する段階のために合同会社GETTAプランニングを設立しました。

私たち日本人の原点回帰ともいえる身体の概念を取り入れたGETTA×????で未来への行動を起こします。


 
宮崎要輔より


この度、小波津祐一氏、桃原祥文氏と一本歯下駄GETTA事業を基盤として展開する合同会社GETTAプランニングを設立しました。

小学生の頃にサッカー、野球、陸上、バスケットボールと多くの競技を本気で楽しみ、誰よりもスポーツが好きだった私は、中学生になった時に環境の変化、指導者の変化に適応できず、スポーツに対して一度挫折しました。ただ、中学1年生の時にバッティングを教えた先輩がそれによって甲子園で活躍する姿をみて、自分にはそういう能力があるのではないかと思ったのも中学時代です。その頃から、環境や指導者との巡り合いで夢を諦める、スポーツが嫌いになる子を生み出したくないという強い気持ちが生まれていました。

高校時代には、もう一度スポーツに本気になろうと陸上競技を始め、誰よりも努力しましたが、自分が納得する結果を出すことができませんでした。
そんな中、高校3年生の冬に出会ったのが一本歯下駄でした。

一本歯下駄を初めて履いた時に、小学生の頃に持っていて、高校生の自分が失っていたのはこの感覚だったのかというのが、履いたその日にわかりました。

このアイテムをより一般化していけば、自分が変えたい社会を変えていけるんではないか。

これが20代、30代と私が一本歯下駄にこだわり続けた、既存のレールから大きく外れようともチャレンジしたいと思った理由です。

ただただ、自分の中に変えたい社会がありました。

学生卒業後すぐに桃原氏と出会い、スポーツによる社会課題解決、ソーシャルビジネスへの切口を夜な夜な議論していました。
当時の私にとって、夢があるとすれば「子どもたちの環境や社会、未来を変えること」そして「桃原氏とともに仕事をすること」でした。

こうして今回ともに会社を設立し、歩みを進んでいけることは、私にとって大きな希望です。

小波津氏とは、2016年に出会い、そこからずっと色んなことをご一緒させていただきました。
アスリート×ソーシャルビジネスのソーシャルアスリートの会もコロナ禍前は毎年開催してきました。


私がみてきた小波津氏の活動において思い出深いのは、


2016年鹿島アントラーズのクラブワールドカップ優勝

プロボクシング村田諒太選手の世界王者奪還

マスターズ世界陸上100m×4リレー日本代表の世界新記録優勝です。


その他、私が外部コーチ7年目になる滋賀学園の選手も何名か小波津氏の手技を受けたことがありますが、振り返ってみるとその全員が箱根駅伝を走っています。


小波津氏と一本歯下駄GETTAを通してスポーツのトップレベルの戦いを数多く経験させていただきました。


こうした経験の集大成として、アスリートだけでなく、家族の健康や現状打破の助けとなり、人々の幸せをつくる存在として社会に還元するために、合同会社GETTAプランニングを設立しました。

2024年5月1日
合同会社GETTAプランニング
宮崎要輔
 

小波津祐一より


この度、宮崎要輔氏、桃原祥文氏と一本歯下駄GETTA事業を基盤として展開する合同会社GETTAプランニングを設立しました。

宮崎氏の一本歯下駄の活動は、2005年に一本歯下駄をトレーニングや指導に取り入れ、2009年から京都の鴨川でのウォーキング会(鴨川ウォーキング大学)、子どものスポーツ教室からスタートしました。

2010年からウォーキング会やスポーツ教室、健康教室のフィードバックをもらいながら様々な歯の高さの一本歯下駄を試し、現在の一本歯下駄GETTAの原型モデルとなる歯が低くても動作を習得できる設計となっていきました。

また、2010年より社会起業家コンテストedgeファイナリスト、京都学生人間力大賞スポーツ文化芸術部門賞、京の公共人材大賞奨励賞といった受賞をきっかけとしたコミュニティのつながりによって、京都の文化、伝統産業に従事する方々との連携の基盤。ソーシャルビジネスやSDGsの連携基盤を2010年代に築いていきました。

単にスポーツや運動に一本歯下駄を取り入れるという切り口ではなく、ソーシャルビジネスや地域づくり、まちづくりに絡めた宮崎氏の取り組みは、テレビ、新聞、ラジオ、雑誌と多くのメディアで取り上げられ、多くの人々が一本歯下駄を知るきっかけを生み出しました。

2010年代後半には、地道に独自の発想で築き上げた一本歯下駄理論、一本歯下駄トレーニングによってプロアスリートのサポートでも結果を出し、さらに多くの人々が一本歯下駄を知られるようになります。

プロボクシング久田哲也選手の30代からの飛躍、世界ランキング1位、歴代で最も遅い世界タイトルマッチ挑戦等々アスリートのサポートの中での勝負へのこだわりから、その理論はさらに高まっていました。

私自身も2016年から宮崎氏と出会い、共に多くのアスリートをサポートしてきましたが、一本歯下駄を本当にアスリートが使いこなすには、宮崎氏の理論があってのものだと感じていました。

上記のように宮崎氏が築いてきた京都の伝統文化やソーシャルビジネスの縁や繋がりやコミュニティ、各種一本歯下駄、一本歯下駄トレーニングの理論は、彼が「子ども達やアスリートの現在の環境を変えたい」と人生を賭けて若い頃から、それだけを一途に行い、一本歯下駄と自分の可能性だけを握りしめて淡々と育ててきたものです。

宮崎氏が人生を賭けて地道に築いてきた京都の伝統文化の縁や繋がり、コミュニティ、各種一本歯下駄、一本歯下駄トレーニングの理論を家族の健康や現状打破へと繋げていくために、スポーツ×ソーシャルビジネス、スポーツ×キャリアの第一人者でもある桃原氏にも入っていただき、今回ともに会社を設立しました。

2024年5月1日
合同会社GETTAプランニング
小波津祐一
 

桃原祥文より


この度、宮崎要輔氏、小波津祐一氏と一本歯下駄GETTA事業を基盤として展開する合同会社GETTAプランニングを設立しました。

宮崎氏とは2010年に彼が京都の鴨川でのウォーキング会(鴨川ウォーキング大学)、子どものスポーツ教室、シニアのための健康教室を一本歯下駄を基軸に行なっている頃に出会いました。

中学時代に、環境の違いで競技を全うできなかった自身の体験をもとに、地域の子どもたちの環境を変えたいと大学卒業後も就職などをせずに、覚悟を決めてチャレンジしている青年でした。

当時から、スポーツのことだけを事業とするだけでは、地域の子どもたちの環境を変えることはできないと、ソーシャルビジネスや地域づくり、また若い志のある学校の先生との教育についての勉強会を重ねていました。

「流行ではなく、文化をつくりたい」と京都で活動し、「誰もができることを誰もできないぐらい継続する」「自分しかできないことをやり続ける」とずっと言い続けていました。

松井秀喜選手や金本知憲選手などの専属トレーナーを歴任し、サッカー日本代表選手やメジャーリーガー、陸上競技のレジェンドと現在最も多くのプロ選手、オリンピアが信頼をおく小波津氏と出会ってからは、競技を問わず多くのトッププロ選手に一本歯下駄を使ってもらい、サポートしていました。

やがて、そうした彼の地道な活動が実り一般的に知られていなかった一本歯下駄が多くの人が知るツールとなってきました。

彼の活動を初期から知るものとして、伝統的な履き物でとどまっていた一本歯下駄が社会において一般的なものとなっていく様子をこの10年、常に見届けてきました。お祭りの履き物だった一本歯下駄が、家族の健康や未来をつくり、アスリートのチャレンジと共にあるようになった現在、こうしてまた一緒にチャレンジし,進めていけることを嬉しく思います。

2024年5月1日
合同会社GETTAプランニング
桃原祥文