第3章

文化身体論構築に向けて

暗黙知と身体感覚の二重構造を通じて、文化身体の到達点である「間」と「型」を獲得する。 形真似を超えて、叡智を内包した規範として身体化するプロセスを解明する。

3.1

暗黙知の近位項を捉える身体

医学、化学の分野から社会科学に転じたマイケル・ポランニー(2003)が提唱した「暗黙知」の概念は、知っているのは確かなものの、どのように知っているかを語れない知である。この暗黙知についてポランニーは、近位項と遠位項から成立すると説いている(Polanyi,2003:28-32)。

暗黙知の構造
近位項

身体各部位の動き
身体感覚
意識の及ばない領域

遠位項

タスク全体
身体から離れたもの
比喩表現で捉える領域

暗黙知の実践における要点:
  • 遠位項:生田が論じた「わざ言語」をはじめとする比喩表現が有効
  • 近位項:より暗黙的で言葉にならない領域へのアプローチが必要
  • オノマトペの採用により、身体感覚を記号言語で認識・意識化
オノマトペによる身体感覚の認識と調整

下駄を履いているときの着地感覚の違いをオノマトペで認識し、調整する例:

クン
右足のはまる着地
クッ
左足の浅い着地

調整プロセス:
左足の着地時に「クン」という音を意識し続けることで、左足の着地や動きも右足の「クン」の感覚に近づいていく。この微細な差異の認識と調整により、身体の左右のバランスや動きの質が変化していく。

ことばが新しく生まれた場合、身体システム内には新たな身体動作の実体が生じます。新たな身体動作は、それまで成り立っていた身体と環境の関係を刷新します
? 諏訪正樹(2016:154)
身体配列の概念
菅原和孝の「身体化された思考」

ある出来事について語るとき、語りという言語記号がその出来事の身体の配置を自動的に再現する。言語記号と出来事の身体の配置は身体配列として紐づくことで持続性を持つ。

例:「グイッ」とスイングしようとする時と「サッ」とスイングしようとする時では、一連の動作も身体の力の入り方も身体の繋がりも変わる。

3.2

身体感覚の二重構造を持つ身体

身体内部で感じ取れる暗黙知の近位項を、オノマトペとして表現、記録することは、身体文化が機能的保存されている道具を、より表象し、文化資本として道具を深く機能させていくこととなる。ここまで、文化身体を構築する実践の仕掛けに関して論じてきたが、文化身体における身体とは何かということを理解するには、身体感覚の二重構造(西村秀樹,2019)の理解が必要である。

初歩の状態あるいは修行が進んでいない状況では、心によって意識的に身体を動かすので、心と身の区別はむしろしやすいが、熟練の境地では、『心身一如』で『無心』であり、心と身体の区別は消え去っている
? 西村秀樹(2019:89)
身体感覚の二重構造
身体内部の
身体感覚

自分の身体のうちに
起きている感覚

 
道具を拠点とした
身体感覚

身体から先の道具で
起きている感覚

西村秀樹の身体感覚論:
  • 「無心」の状態では、身体感覚以外の意識は消失するが、身体感覚はむしろ非常に研ぎ澄まされたものとして存在する
  • 身体感覚は、心と身体が出合うところであり、両者が統合されたもの
  • 生理学的な身体に留まる身体感覚と、太刀を握る手という他所へ移した心を拠点とする身体感覚の二重性
  • 身体感覚の転移によって、自己は自らを身体感覚として、こちらとあちらの二重に存在させることができる

心と身体を区別して、それぞれに役割を持たせるのではなく、身体感覚として心と身体を統合した上で、「身体に留まる身体感覚」と「身体の外へと転移していく身体感覚」という二重性をつくっていることが述べられている。

実践の本質
道具との相互作用

心と身体は身体感覚として一体化した上で拡張し、身体の先にある道具を拠点としながら、さらに道具より先へと拡張していく。

これまで論じてきた道具を使うのではなく、道具を対等・敬意あるものとして道具側から働きかけるとは、心と身体が一体となり、身体感覚として道具側に転移した身体感覚が、道具との相互行為により使い方が浮き出てくることを示す。

3.3

間と型のある身体

文化身体論を構築していく上で、西洋化によるハビトゥスが再生産される問題をいかに乗り越えるかをここまで論じてきた。暗黙知の近位項とされる体感や、身体感覚をオノマトペで表現することを積み重ね、身体感覚の二重構造の働きまで到達することは、同じ実践における体感の質を変えることが指摘される。

「間」の獲得プロセス
歩く時の一歩一歩の着地の重みや地面からの反力による体感の違いを、道具と言葉によって認識する
身体の内部から感じる暗黙知の近位項の体感、地面から感じる暗黙知の遠位項の体感の違いを認識する
認識と更新の積み重ねの中に、身体全体を通して価値を探りながら構築するプロセスが生まれる
実践者は、そこから生まれる実践への認識の変化のなか、自身がおこなっていることの意味を実感できる状態「間」を体現する
 「間」とは何か
「間とは時間的かつ空間的に流動の軌跡として切断したものが型である」(安田武)
間とは流動の中でも切断が可能なほどに、身体的、時間的、空間的に一体化している状況、状態のこと。
「『間』こそ、守でありイロハであると同時に、究極であり極意である」(安田武,1984:56)

生田の論をより精密に言うならば、身体感覚の二重構造から、伝統的道具の中にある機能保存されていた身体文化、身体技法に内在していた「間」の感覚に気づき、「間」を会得していくということである。

「型」への昇華プロセス
実践で体現した「間」の動作を自らの競技に応用して落とし込む
自らの競技における「型」、その競技のトレーニングにおける「型」をみつける
「形」に向かう傾向性を持っていた西洋化によるハビトゥスから「型」への変換が起こる
オノマトペやイメージ、比喩までも含んだものを一つの総合体「型」として統合する
通常は無意識に行なってしまっている効率のよくない動きをいったん意識化し修正する。そして、型を通して合理的な動きが習慣とされることによって、その動きは意識的にしなくとも出るようになり、無意識の領域に帰っていく
? 齋藤孝(2000:105)
「型」の本質:
  • オノマトペやイメージ、比喩までも含んだ身体となることで、次の動き、どう動くべきかと頭や心で考える必要がなくなる
  • 「無心」(西村,2019:89)となる
  • 環境に応対し、生成し続けられる状態が発生する
  • 「型」とはただの再現、反復される形式ではなく、二重の身体感覚から自己と自己以外のものとの生成活動や動きを生み出すことができる状態
文化身体論の核心
従来の「型」と文化身体論の「型」の違い

従来の身体文化論の「型」:
叡智を内包する規範を身体化するもの(大庭,2021:7)

文化身体論の「型」:
叡智を内包させながら規範を身体化したもの

このように、「間」や「型」を分析するのではなく、身体化させていく過程として文化身体論の存在を明らかにした。

第3章 結論

西洋化によるハビトゥスによって「形」へと向かう傾向性を持っていた実践が、
自ら「型」をつくる行為の領域へと変容していく。

この実践の中に、文化身体論は存在するのである。

文化身体論の構築プロセスまとめ:
  1. 暗黙知の近位項の認識 - オノマトペによる身体感覚の意識化
  2. 身体感覚の二重構造の獲得 - 身体内部と道具を拠点とした感覚の統合
  3. 「間」の発見と会得 - 伝統的道具に内在する身体文化の体現
  4. 「型」への昇華 - 叡智を内包させながら規範を身体化

第1章から第3章にわたって論じてきた文化身体論の構築について、以下のようにまとめることができる。

総括
文化身体論の実践的意義

西洋化によるハビトゥスの再生産を仮想的界によって歯止めをかけ、機能的保存のある道具と「ことば」を駆使することで、ハビトゥスを文化身体によるハビトゥスへと変容させることができる。

このハビトゥスの変容の過程において、これまでの身体文化論においては、界の不在により存在も機能もすることができていなかった日本の伝統的な身体文化、身体技法が、初めて文化資本として資本化されるのである。

この文化資本の到達点こそが「間」と「型」であり、文化身体論の実践とは、この文化資本の到達点を目指すものだと言える。